先日、震災後に初めて青森・八戸市のTATSUからメールが届いた。
職場は全壊、八戸の心臓部の水産工業地帯も
職場は全壊、八戸の心臓部の水産工業地帯も
相当な被害を受けたとのメール内容だった。
当然、TATSUの日課であったサーフィンも津波の影響で出来ない状態。
当分の間は気分転換(サーフィン)もできない状況が続くとの事だった。
先の見えない不安、整理のつかない現状が
当然、TATSUの日課であったサーフィンも津波の影響で出来ない状態。
当分の間は気分転換(サーフィン)もできない状況が続くとの事だった。
先の見えない不安、整理のつかない現状が
メールの文章から痛い程に伝わった。
しかし、メールの本文の最後には『サーフィンが当分の間できなくとも、
YSKのSKATEデッキがある!』、と嬉しいコトバ。泣きそうになった。
被害にあっていない俺は『被災者』になるのを恐れ、立ち止まったまま。
被災者になってしまったTATSUは前を向き『未来』に向け、既に歩いている。
勇気づけるはずのメールが、逆に勇気づけられてしまった。
しかし、メールの本文の最後には『サーフィンが当分の間できなくとも、
YSKのSKATEデッキがある!』、と嬉しいコトバ。泣きそうになった。
被害にあっていない俺は『被災者』になるのを恐れ、立ち止まったまま。
被災者になってしまったTATSUは前を向き『未来』に向け、既に歩いている。
勇気づけるはずのメールが、逆に勇気づけられてしまった。
下のデッキはTATSUが八戸で仲間達と活動している